日本に砂糖が伝わる
8世紀、中国・唐の僧侶(そうりょ)で奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)をひらいた鑑真(がんじん)が中国から持ち込んだという説や、遣唐使(けんとうし)が持ち帰ったという説があります。
当時の砂糖はとても貴重なもので、薬としてあつかわれ、皇族や貴族以外が口にできるものではありませんでした。
砂糖の輸入が始まる
3代将軍 足利義満の時代には、中国の明朝との貿易がさかんになり、砂糖が輸入されるようになりました。「茶の湯」とよばれるおもてなしの席が流行し、「砂糖まんじゅう」や「砂糖ようかん」という菓子が使われました。
当時の生活を描いた絵巻には、まんじゅうが市場で売られている様子が描かれています。まだまだ貴重品であった砂糖ですが、人々の生活に少しずつ近づいてきたことがうかがえます。
砂糖菓子が伝わる
1543年、ポルトガル人が種子島(たねがしま)に来航。その後の南蛮(なんばん)貿易によって、カステラ、こんぺいとう、ビスケットなどの砂糖菓子が日本に伝わりました。
日本で初めてこんぺいとうを食べた人は織田信長といわれています。
出島(でじま)砂糖
南蛮貿易は江戸時代になっても続いていましたが、1637年の島原の乱を機に、幕府は鎖国(さこく)政策をとるようになります。
鎖国後、貿易の拠点(きょてん)は長崎の出島だけになり、当時輸入された砂糖は「出島砂糖」とよばれました。
砂糖の国内生産が始まる
日本で砂糖が作られたのは、17世紀の初めごろ。
薩摩国(さつまのくに:現在の鹿児島県)や琉球国(りゅうきゅうのくに:現在の沖縄県)で黒砂糖を作ったのが最初といわれています。
8代将軍 徳川吉宗は、砂糖を国内で生産できるようにするため江戸城内で試験的にサトウキビの栽培に取り組み、全国の藩主にも砂糖を作るようすすめました。幕府のすすめを受けて、温暖な気候の西日本の藩から砂糖の製造が始まりました。
駄菓子(だがし)から市民へ
江戸後期、商業中心地である大坂(現在の大阪府)では砂糖問屋が増え始め、砂糖は全国に流通するようになります。
江戸時代末期になると、「駄菓子(だがし)」などを通じて市民の間にも砂糖が知られるようになりました。
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